こんにちは!
久しぶりのブログ更新です^^
先日、産後ケアでお伺いしたママさんに「水本さんは謎だらけです!」と言われました(笑)
あ、悪い意味ではなく、私のことを聞きたいけど聞いてもいいのかな?ということだったのですが、しっかり話したことがないので、書いてみようと思います♪
|私が看護師を目指した原点
1982年3月9日、サンキューの日に桑名で三人姉妹の末っ子として産まれました。
当時は、父の働く会社の社宅住まいで、ヘビやネズミが出るような家。
目の前の物置小屋のようなところは、雷が落ちたのか!?というような大きな穴が家の中に開いていて、扉や机がごちゃごちゃに放り込まれている不思議な小屋。
そんなところでした。
一番上の姉は、出産の時の医療ミスで身体障害者(知的障害もあり)で、施設に入所しており、末っ子の私は甘えん坊でしたので、母に付いて施設によく行っていました。
電車やバスを乗り継いで、バス停からも歩くので、かなり時間がかかりましたが、私はとっても楽しかったんです^^
施設に行くと、小さい私はみんなから可愛がられました。
私が「看護師になりたい」と思ったのは、たぶん、この頃の体験がきっかけだと思います。
その後の記憶はあまりなく…
お家を引っ越すことになった小2の最後、文集を書いた冊子がありまして、そこに書かれた将来の夢。
「看護婦さんになりたい」
でした!!
そう、私の夢は、小2のときから変わらなかったんです(≧∇≦)
そして記憶は更に飛び、中学1年生のとき、いじめにあいます。
仲の良かった友達が突然いじめをする側になりました。
廊下をすれ違うだけで「おい!」と大きな声で怒鳴られたり、指を指して笑われたり、「廊下に顔突っ込んでみろ!」と言われたり…
まぁまぁのいじめでしたので、泣いた日も多々ありました。
でも、冷静な私は、先生に名指しで話し、その子たちは先生に呼び出され、その日からいじめは無くなりました。
現代のニュースを見ていると、1人で抱え込んで自殺をしてしまう子がいて、なんともやり切れなくなりますが、
心の底から信頼できる大人、安心して相談できる大人が少ないのかもしれませんね…涙
子どもたちには、「闘う勇気」ではなく「相談できる勇気」を持ってほしいと思います!
私たち大人は、「相談してもらえる人」として、日常で子どもたちと関わっていかなくてはいけませんね!
…
ということで、中学までのお話でした^^
また続きをお楽しみに〜♪